これはいわゆる自転車乗れます、お金持ってます、という話ではありません。自転車好きな私が理想とするバイク乗りについて書きます。
#ですので完全なる私見です。
身体と同じでパーツパーツそれぞれ揃えるだけでいいというものではないところが、みなさんハマっていくところなのだと思います。
例えば、最近のスマホのカメラ機能はとてつもないことになっています。各メーカー、レンズの数を競ってみたり、勝手に美肌加工してみたり。
いろいろ試せばなんとなく自分の欲しかったものが手に入っている。目的意識があってその成果というわけではなく、ただ選択肢が増えているだけ。
それを全て自分でやるのが写真専用機。それでも売れる必要があるのでオート機能がいろいろついてますけどね。昔ほどマニュアルじゃなくなって楽になりました。
マッサージチェアも人類と戦う時代になりました。いろいろな仕事が買えば済む時代です。朝はまな板を叩く包丁の音で始まりましたよね。今は自動ドアのピンポーンが朝の音になってませんか?え?朝は食べないからコンビニ寄らない?じゃあエスカレーターの場所を知らせるピンポーンの音が朝を告げるんですね。既製品に自分を合わせれば合わせるほど楽になる生活をさせられているわけです。だって個別対応なんてマニュアル書けないしコスパ悪いし、商売あがったりでしょ。昔は職人がそれをこなしてましたが、今は修行なんて流行らない。いいね稼ぎのマジョリティであり、多数派あってこそのマイノリティなんですね。どうしても相対的になってしまう。ぶれない自己を貫き通すには厳しい世の中になってしまいました。
機械と人類が戦う必要がありますか?人類はルールを作って戦いに意義を持たせました。ルールがなければただの喧嘩、ある意味、自然の摂理ですが。マッサージチェアがすごいのはそれを作り上げるために何人もの手がかかり、物が消費され、エネルギーもこめられているということです。出来上がりはお金さえあればすぐ手に入りますが、それを売り出すまでにどれだけかかったか、ということです。人数も時間も同じだけ注ぐことができれば、とんでもないスペシャルな施術ができますね。停電だって怖くない。疲れたら交代すればいいし、そのたびに新しい技が繰り広げられる。ある特定の人間をターゲットにするならともかく、人類を敵に回したら負けるわけにいかないでしょう。
さてとんだ脱線ぶりです。
自転車の話はまた今度(逃)
キャノンデール、いいよねーd(^_^o)